小葵花中国語 in 常熟
常熟の語学学校「葵(あおい)中国語教室」のブログです。
カテゴリー「中国語のお勉強」の記事一覧
- 2024.12.05 [PR]
- 2014.05.05 「不」と「没」の使い分け法(その2)
- 2014.04.30 フィルバスの法則 《把構文について》
- 2014.04.29 开门七件事 ♪
「不」と「没」の使い分け法(その2)
- 2014/05/05 (Mon) |
- 中国語のお勉強 |
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以前「不」と「没」の使い分け法の原則についてお話ししましたね。
「出来事」でなかったら「不」
「出来事」なら「出来事以前の変化なら「没」」、「出来事後の変化なら「没」」
という簡単なものでした。(下の図をクリックしても元の記事にとびます。) では次の( )に入るのは不、没どちらでしょう?
那时候你( )听我的劝告,现在后悔了吧?
実はどちらでも成立するのです。
那时候你不听我的劝告,现在后悔了吧?
那时候你没听我的劝告,现在后悔了吧?
意味は「あの時君は僕の忠告を聞かなくて今後悔してるでしょ?」でほとんど同じ。
何が違うかというと、文法書などにはよく「不は主観的な否定」、「没は客観的な否定」と書いてあります。つまり日本語的に訳すと「不:忠告に耳を貸さなかった」、「没:(その場にいなかったとか、なんらかの事情)で聞かなかった」というニュアンスをあらわすとあります。
でも次のように考えてみたらどうでしょう。
原則通り、「出来事以前の変化なら「没」」、「出来事後の変化なら「没」」とする。
忠告の時その場にいなかったため聞いてない → 事象発生時なので「没」の領域
忠告は聞いたが、それに従わない → 忠告を聞かないという行為は事象発生後で「不」の領域
(下の図を参考にしてください)「不を使うから主観、没を使うから客観」というふうに「不、没」そのものに主観客観の意味合いがあると考えるより、「事象発生時だから客観表現」「事象発生一定時間後であるから主観表現」になると考えたほうがいいかもしれません。
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「出来事」でなかったら「不」
「出来事」なら「出来事以前の変化なら「没」」、「出来事後の変化なら「没」」
という簡単なものでした。(下の図をクリックしても元の記事にとびます。) では次の( )に入るのは不、没どちらでしょう?
那时候你( )听我的劝告,现在后悔了吧?
実はどちらでも成立するのです。
那时候你不听我的劝告,现在后悔了吧?
那时候你没听我的劝告,现在后悔了吧?
意味は「あの時君は僕の忠告を聞かなくて今後悔してるでしょ?」でほとんど同じ。
何が違うかというと、文法書などにはよく「不は主観的な否定」、「没は客観的な否定」と書いてあります。つまり日本語的に訳すと「不:忠告に耳を貸さなかった」、「没:(その場にいなかったとか、なんらかの事情)で聞かなかった」というニュアンスをあらわすとあります。
でも次のように考えてみたらどうでしょう。
原則通り、「出来事以前の変化なら「没」」、「出来事後の変化なら「没」」とする。
忠告の時その場にいなかったため聞いてない → 事象発生時なので「没」の領域
忠告は聞いたが、それに従わない → 忠告を聞かないという行為は事象発生後で「不」の領域
(下の図を参考にしてください)「不を使うから主観、没を使うから客観」というふうに「不、没」そのものに主観客観の意味合いがあると考えるより、「事象発生時だから客観表現」「事象発生一定時間後であるから主観表現」になると考えたほうがいいかもしれません。
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フィルバスの法則 《把構文について》
- 2014/04/30 (Wed) |
- 中国語のお勉強 |
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「把構文」というのは「把」を使って文の目的語を前にもってくるというものですね。割と簡単にできるのですが、でもなぜわざわざ目的語を前にする必要があるんでしょう?
「私は手紙を書き終えた」は、我写完信了。と我把信写完了。と二通り言えますがどう違うのかという疑問がわいてきますね。
少し考えてみましょう。以前の記事「中国語文法の核心」のところで、中国語の基本的な構造は、であると言いました。「まいにち中国語」の遠藤光暁先生も中国語のエッセンスの中で、という表現をされていますが、表現は違っても意味は同じです。即ちまず「聞き手にとって既知の前提条件」を投げかけ、その後に「伝えたい内容」を言うということが言葉の基本です。
さらに「新情報」の中でも「重要な内容ほど後にくる」という大原則があります。J.Firbas(フィルバス)という言語学者は言語一般の法則として、 なんか難しいですけど~、要は文の中で一番後ろにくる成分が一番言いたいこと、ということですね。たとえば英語でも以下の2文、
Fukuzawa Yukichi founded Keio University.
(福沢諭吉は慶応大学を創設した。)
Keio University was founded by Fukuzawa Yukichi.
(慶応大学は福沢諭吉によって創設された。)
で話者が聞き手に伝えたいのは上では慶応大学、下では福沢諭吉ですね。
ですから中国語でも例えば、
我写完信了。
この内容で、「写完(書き終えた)」ことを強調して伝えたい時に、後ろにある「信」という目的語が実は邪魔になります。 そのため、 そうすることで本当に伝えたい「写完(書き終わった)」を後置することができ、
我把信写完了。
として初めて「書き終えたこと」を強調できる。というのが「把構文」の本質ということになります。
⇒ 把構文についてはこちらから詳述しています。
⇒ 動作の時間表現とフィルバスの法則についてはこちら
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「私は手紙を書き終えた」は、我写完信了。と我把信写完了。と二通り言えますがどう違うのかという疑問がわいてきますね。
少し考えてみましょう。以前の記事「中国語文法の核心」のところで、中国語の基本的な構造は、であると言いました。「まいにち中国語」の遠藤光暁先生も中国語のエッセンスの中で、という表現をされていますが、表現は違っても意味は同じです。即ちまず「聞き手にとって既知の前提条件」を投げかけ、その後に「伝えたい内容」を言うということが言葉の基本です。
さらに「新情報」の中でも「重要な内容ほど後にくる」という大原則があります。J.Firbas(フィルバス)という言語学者は言語一般の法則として、 なんか難しいですけど~、要は文の中で一番後ろにくる成分が一番言いたいこと、ということですね。たとえば英語でも以下の2文、
Fukuzawa Yukichi founded Keio University.
(福沢諭吉は慶応大学を創設した。)
Keio University was founded by Fukuzawa Yukichi.
(慶応大学は福沢諭吉によって創設された。)
で話者が聞き手に伝えたいのは上では慶応大学、下では福沢諭吉ですね。
ですから中国語でも例えば、
我写完信了。
この内容で、「写完(書き終えた)」ことを強調して伝えたい時に、後ろにある「信」という目的語が実は邪魔になります。 そのため、
我把信写完了。
として初めて「書き終えたこと」を強調できる。というのが「把構文」の本質ということになります。
⇒ 把構文についてはこちらから詳述しています。
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开门七件事 ♪
- 2014/04/29 (Tue) |
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日本には台所に置く必須の調味料として「さしすせそ」(砂糖、塩、酢、醤油、お味噌)が大切だとおそわりました。中国にも「开门七件事」という古い言い方がありますよ~ “开门七件事”是古代中国平民百姓每天为生活而奔波的七件事,已成为中国的谚语。从“开门”(即开始家庭一天正常生活或持家,维持生计),就都离不开七件维持日常生活的必需品,分别是:柴、米、油、盐、酱、醋、茶。开门七件事提示家庭各样必需品。
「开门七件事」というのは古代中国の庶民が生活のために追い求めた7つの物のことで、中国の諺になっています。「開門」つまり家庭を持った日から、生活するため家庭を切り盛りし生計をたてるのに、なくてはならない日常生活における必需品のことで、柴、米、油、盐、酱、醋、茶の七つことです。开门七件事之说,一般认为始于宋朝。对当时的人来说,开门七件事是新事物。米(即稻)在宋朝是主要粮食。酱在宋朝才明确地指酱油。在宋朝以前的醋,但仍不是生活必需品。茶在唐朝以至北宋,仍是奢侈品,而且不常见。至于油,指由芝麻、紫苏和大麻榨成的油,因南宋时期手工业和商业的发展而普及。
「开门七件事」という言い方は、宋代に始まったとされています。当時の人々にとっては、この七つはわりと新しい物でした。米は宋代に主食となり、醤は宋代になってから醤油を指すようになりました。宋代以前の醋は生活必需品とは言えませんでした。茶にいたっては、唐の時代から北宋までは贅沢品とされており、そうそうお目にかかれるものでもありませんでした。油はゴマ油、しその油、アサの油などを指しますが、これなどは南宋にいたって手工業や商業の発展により普及しだしたものです。
很多文人雅士的歌吟都以开门七件事为题,并流存在民间。开门七件事的排列和内容都大有讲究,全都与中国历史悠久的饮食文化有关。直到现在,开门七件事的意义和古代已经有了很大的变化,主要泛指与人民有切身利益的必备事情。多くの文人がこの言葉をテーマに詩を作り一般に広まっています。
「开门七件事」は中国の長い歴史のある食文化から出てきたもので、その順番と内容はとても重要です。現在ではこの言葉の意味は昔とは変化してきていて、人々が身近に必要なモノや事柄を広く指して言うようにもなりました。
おもしろいですね~
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「开门七件事」というのは古代中国の庶民が生活のために追い求めた7つの物のことで、中国の諺になっています。「開門」つまり家庭を持った日から、生活するため家庭を切り盛りし生計をたてるのに、なくてはならない日常生活における必需品のことで、柴、米、油、盐、酱、醋、茶の七つことです。开门七件事之说,一般认为始于宋朝。对当时的人来说,开门七件事是新事物。米(即稻)在宋朝是主要粮食。酱在宋朝才明确地指酱油。在宋朝以前的醋,但仍不是生活必需品。茶在唐朝以至北宋,仍是奢侈品,而且不常见。至于油,指由芝麻、紫苏和大麻榨成的油,因南宋时期手工业和商业的发展而普及。
「开门七件事」という言い方は、宋代に始まったとされています。当時の人々にとっては、この七つはわりと新しい物でした。米は宋代に主食となり、醤は宋代になってから醤油を指すようになりました。宋代以前の醋は生活必需品とは言えませんでした。茶にいたっては、唐の時代から北宋までは贅沢品とされており、そうそうお目にかかれるものでもありませんでした。油はゴマ油、しその油、アサの油などを指しますが、これなどは南宋にいたって手工業や商業の発展により普及しだしたものです。
很多文人雅士的歌吟都以开门七件事为题,并流存在民间。开门七件事的排列和内容都大有讲究,全都与中国历史悠久的饮食文化有关。直到现在,开门七件事的意义和古代已经有了很大的变化,主要泛指与人民有切身利益的必备事情。多くの文人がこの言葉をテーマに詩を作り一般に広まっています。
「开门七件事」は中国の長い歴史のある食文化から出てきたもので、その順番と内容はとても重要です。現在ではこの言葉の意味は昔とは変化してきていて、人々が身近に必要なモノや事柄を広く指して言うようにもなりました。
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